先輩移住者紹介~小熊靖浩さん~
(食に関わる微生物の世界は、私にとって無限の魅力があります。
目に見えず、会話もできない相手をどのように理解し、手を添えるのか。
四季を通じて向き合う中で時折訪れる「通じ合えた瞬間」に、例えようのない喜びと面白さがあります。)
「自ら育てたお米で美味しいお酒を造りたい」
小熊 靖浩さん 30代 妻・子ども2人
ブータンから移住
移住のきっかけを教えてください。
僕は北海道の出身で、大学進学を機に上京し、卒業後は星野リゾートの飲食部門で調理を担当していました。その後、宮城にある、こどもたちの好奇心と探究心を刺激する複合体験施設「モリウミアス」の立ち上げに携わり、そこでも食に関わる仕事を中心にしてきました。妻とは大学時代に知り合い、彼女は海外で外務省やJICA(ジャイカ)の仕事をしていました。長門市に来る前は、僕が主夫として、1歳になったばかりの娘と3人、ブータンで暮らしていましたが、新型コロナウィルス感染症の流行をきっかけに帰国せざるを得ない状況となり、日本に帰ってきました。ブータンに行く際に日本の家は引き払っていたので、住む家が無く、妻が生まれ育った沖縄に身を寄せ、その後移住候補地を周る旅に出て、一番最初に立ち寄ったのが長門市でした。
移住の目的を教えてください。
これまでの経験から、30歳を過ぎたころに自分の「やりたい暮らし」が見えてきて、僕の場合は「酒造り」を軸に生きていきたいと思うようになりました。自分の育てたお米で糀を作り、発酵させてお酒を造る。飲むと食欲が出て、もっと食べたくなる。そんな風に食事と一緒に楽しめるお酒(食中酒)を造りたい!ゆくゆくは自分の作ったお酒を提供するレストランを始めたい!それが実現できる場所を探しました。また、災害リスクの少ない場所で子育てをしたいという思いも大きかったです。
移住候補地はどのようにして絞りましたか?
酒造りは機械などに頼らず自然な気温でやりたかったので、暑すぎても寒すぎてもダメなことから、日本の中心部に絞り込みました。瀬戸内海側だと暑すぎるから日本海側が良いけど、妻が沖縄出身なこともあり、「雪深いところは絶対に嫌だ!」と言うので、日本海側でも雪深くない場所を探しました。(僕は雪好きなんですけどね(笑))それと、福島にある星野リゾートグループのホテルで働いているときに、東日本大震災を経験しているので、災害のリスクが少ない場所、緻密な条件をもとに探して候補地に挙がったのが長門市です。他には、阿武町、島根の西部、広島、岡山と周りました。長門市にビビッときたと言えばそうなのですが、実はこれって凄いことだと思います!理屈ですごく良いところなんですよ!
家はどのようにして見つけましたか?
候補地を周ったのち、長門市に戻ってきてから一か月くらいは、お試し暮らし住宅(※現在は「お試し暮らしコーディネート事業」に変わっています。)に住まわせてもらって、その後、地域の人の紹介から、仮住まい先を見つけることができました。当時新型コロナウィルス感染症がまだまだ大流行している中で、温かく受け入れてくれた人たちには本当に感謝しています。その後「長門市空き家バンク」で今の家と巡り合いました。母屋の横に立派な納屋と倉庫があり、酒造りの加工場にできそうなこと、また付帯農地の田畑も多くあり、場所的にも棚田に位置していて、手間は何倍もかかるけれど、大きい圃場から離れているので、農薬散布の影響もないし、水も空気も慣行栽培の影響を受けないという、僕にとって好条件の場所であったことが決め手となりました。
移住してきて困ったことや大変だったことなどはありましたか?
大変なことだらけですよ(笑)。まずは長年空き家になっていた家を住めるように改修するところから始まりました。空き家バンクで案内してもらった時は、家に行くまでの道も草木に覆われていて、空き家バンクの担当者さんと一緒に、鎌で草木を刈りながら進みました。古い家なので、隙間風も多く、虫もどこからともなく入ってくるし、ほんと大変です。今でも近代住宅が良いな~と思いますよ(笑)。
でも、その大変さを上回るものがあるからここで暮らしているんですよね。やりたかったことができている今の暮らしは、大変なことも多いですが、毎日がとても充実しています。「いつ死んでも後悔は無い!」今を生きてる感じがします。
移住前に不安に感じた部分や気になったことは?
無いと言えば無いかもしれません。どこに住んでも合う人、合わない人はいると思うし、良い人もいれば悪い人もいる。あんまりそういうことは気にしないタイプです。変に、夢持って来ないほうが良いと思う。一つだけ気になったことは子どもの進学先ですね。長門市は高校まではあるけど、もしかしたら高校から海外に行きたいってなるかもしれないし、まだ10年先のことなので、その時に時代がどうなっているか、自分たちのライフスタイルがどうなっているかもわからないので、色々と先のことを心配するよりも、今を大事に生きている感じです。高校を重要と思うなら、都会が良いと思うかもしれないけど、幼少期の子どもの教育という部分では、僕はこういう自然が多い土地の方が良いと思っています。
どのようなお仕事をされていますか?
妻は完全リモートの会社員で、僕は自営業です。LiveliFood(ライブリフード)という屋号で、自然栽培米や、米糀、甘酒、塩糀などの加工品を販売しています。
移住した年は、新規就農する為に研修制度を利用して、次の年からは独立して、酒造りの為に必要なお米をメインに栽培しています。酒造りに必要な知識・技術を習得するために、昨年、一昨年の2シーズンほど鳥取にある酒蔵で住み込み修行をして、この冬に自宅横の納屋を改修し、米糀の加工場を作りました。
原料となる全てのお米は、自家採取した種籾を農薬や化学肥料・有機肥料を用いない自然栽培で育てています。日本のお米の先祖にあたり、在来種である「亀の尾」をはじめ、「ササニシキ」、「ササニシキ」の親にあたり現在は希少品種となった「ササシグレ」。
「亀の尾」は、肥料の使用により倒伏しやすい特徴があるため、自然栽培でないと作れない品種で、幻の酒米と呼ばれています。「ササシグレ」は、炊き上がりの香りが良く、冷めると甘みが増す、味・香り共にトップクラスのお米ですが、こちらも病気に弱く、手間がかかることから栽培方法が難しいとされています。まだまだ慣行農法が主流の世の中、きっと正解はないのですが、結果はできたものにあらわれます。 米から糀まで。四季を通じて向き合う中で時折訪れる「通じ合えた瞬間」に、例えようのない喜びと面白さがあります。
これからの夢・目標を教えてください。
これから米糀の加工場の横に、日本酒を仕込む為の醸造所の設備を整えて、酒蔵を作ります。その先には自分の作ったお酒と、糀を使った料理を合わせて楽しんでもらうレストランを開くという計画を立てて動いています。素材や味にこだわった美味しい料理を、肩ひじ張らずに気軽に楽しめる食堂のイメージです。そこで料理教室の開催をはじめ、地域の子どもたちが活躍できる場所・機会を提供したいとも考えています。今年は知ってもらうことを目標にしていて、積極的にマルシェやイベントに出店して、僕の作ったお米や糀を多くの人に届けたいと考えています。自宅でも簡単にできる糀を使ったレシピの料理を提供し、美味しく食べて、何か感じてもらえると嬉しいです。
移住を検討している方へのメッセージをお願いします。
なかなか言葉で伝えようとしても、うまく伝わらないことの方が多いと思うので、僕は糀、酒を造ります。僕は声高に「オーガニック」だとか有機栽培が大事なんだ!と言うつもりは一切無くて、自分が美味しいと感じるものが慣行農法(化学肥料と農薬の使用を前提とした栽培方法)で作られたものであればそれでいいと思っています。それは人それぞれなので。でも僕の場合は自分が美味しいと思うものを辿っていくと、素材・土が大事と考え、自然農法・自然栽培にいきついて、今ここで暮らしています。色々な暮らし方があること、衣食住のことなど、世に流行っているものと対峙した時に、みんな選んでいるのではなくて、知らないのではないかと思います。五感で、肌で心地よいと感じる場所、そんな環境に身をおき、子どもたちに色んな体験をさせてあげたい。きっとそれは子どもたちにとって大きな財産になり、可能性は無限に広がると思います。譲れない条件をもとに、自分が心地よいと感じる場所、やりたいことができる土地を焦らずじっくり探してみてはどうでしょうか。
山口県長門市向津具半島
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